表具店・横川伯鳳堂は島根県安来市で西陣金襽を使い掛け軸(掛軸)や古書画の仕立て直し、修復、しみ抜き、表装、表具、時代表装をしています。

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横川伯鳳堂

島根県・安来市広瀬町 雲龍山城安寺様の庭園を拝見しました。

2009年9月15日
今回は、安来市広瀬町、臨済宗南禅寺派の城安寺、本堂前庭のご紹介です。
雲龍山城安寺は、九代広瀬藩主直諒公の菩提寺でもある由緒あるお寺です。


城安寺 縁起(略)

 安来市広瀬町富田にある臨済宗南禅寺派別格地の寺院。山号は雲龍山。
正和年間(1312〜1316年:鎌倉末)に古愚和尚が創建、のち南禅寺から南禅寺を創建した南院国師の弟子、源翁全帰和尚を招いて開山とした。
 その後、江戸時代までの史実はつまびらかではない。
 1600年(慶長5年)堀尾吉晴が出雲国主として広瀬富田城に入ると、浜松から春龍和尚を拝請し当山の住職とし、城安寺は堀尾氏の菩提寺となった。
 1611年(慶長16年)、堀尾吉晴が松江に移城する際、城安寺もともに移転したが、およそ50年後、即宗元覚和尚の代に再び広瀬に寺を移した。間もなく、分封された広瀬藩松平氏の菩提寺となり、元覚和尚は中興の祖となった。当山の山門は、九代藩主松平直諒公の寄進による。
 その後明治に入り、二十一世梅嶺和尚は傑出した禅僧で、南禅寺派の初代管長となった。明治期は、火災や水害で多難であったが、梅嶺和尚らの活躍で見事に復興し現在に至り、今は二十六世浩道和尚が継承している。
 本尊は聖観世音菩薩、両脇仏の広目天立像・多聞天立像は共に重要文化財。書院庭園は雪舟うつしの庭園といわれ、幽玄な林泉は見る人を魅了する。寺宝として他に堀江友聲筆尼子十勇士像、富田城絵図などを所蔵する。
*参道より見あげる城安寺の山門
参道より見あげる城安寺の山門

雲龍山 城安寺 正面参道より見上げる 松平直諒公寄進の山門

広瀬の建具屋さんのご紹介で、城安寺様の庫裡の”床の間の張り替え”に伺いました。初めてのお寺で、広々とした前庭と荘厳な寺院の雰囲気に圧倒されました。

ここでは、本堂玄関の飾り床をはじめ、庫裡、大書院床の間と、他にもたくさんの床や壁面が有り一週間以上通いました。毎日の仕事の休憩時間には住職様にお寺の歴史をお聞きしたり、お庭の散策が楽しみでした。

お昼には大書院の縁側から見える、雪舟写しの庭園を眺めながら昼食をいただきました。ぜひ、すばらしいこのお庭を皆様に紹介したいと思いました。

  ( 明治35年、国宝に指定された多聞天・広目天は、この門の楼上に安置されていたといわれています。)

新しく作られた石垣ともう一段上の古い石垣の上に建つ、荘厳な山門は、明治の火災でも難を逃れた、松平直諒公、寄進の由緒ある建造物です。

    通用門へつづく坂道

*通用門へつづく坂道
通用門へつづく坂道

参拝者には、正面左より境内へ続く坂道があります。左側には、手すりの付いた石段があり、右側には滑り止めの付いたスロープがあります。

(滑り止めの凸凹は、たぶん小さい竹筒で突いて作られたのでしょうか?)

 坂道を上り、門を見上げますと古びた孟宗竹に「城安寺」の文字が、参拝者を出迎えてくれます。

大きな城安寺の 庫裡

*通用門より眺める庫裡
通用門より眺める庫裡

この写真は、通用門から見た境内の写真です。

何より境内のこの広さには驚かされます。また とても大きな庫裡は、この地ではめずらしい二階建ての造りになっています

庫裡の玄関。大きな欅板の額「雲蒸」とは?

 玄関上部に架かる大きな欅板、扁額の文字は「雲蒸」でしょうか?作者は「大観」 とあります。

「雲蒸」の文字を実際にご覧になり「雲蒸」についての御話を、ご住職様にお尋ねになられてはいかがですか。

庫裡の右側には広〜いお庭があります。

*庫裡へ向かう参道から右に広がる庭。
庫裡へ向かう参道から右に広がる庭。

「雲蒸」の額を見上げて右に振り向くと本堂前にお庭が広がります。

そして、この前庭には 、 鐘楼、経堂、開山堂 、石碑 、小さな滝 などが点在しています。

開山堂から見た、お庭の山門

開山堂より見るお庭

この写真では、広い感じが、まったく伝わりませんが、実際はとても広くて、素敵なお庭です。ローアングルから撮影すれば、もう少し遠近感が出たでしょうか?(400万画素)

 今カメラを構えている左には、小さな滝があり   ” 心地よい水音” が聞こえています。

   

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”お庭拝見”城安寺様前庭のつづきです。